大判例

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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)3076号 判決

原告

加藤輝一

(ほか二名)

右三名訴訟代理人

芦田浩志

(ほか一名)

被告

東京都

右代表者

東京都知事

東竜太郎

右指定代理人

竹村英雄

(ほか三名)

主文

被告は原告加藤輝一に対し金八〇〇、〇〇〇円、原告加藤シナに対し金一〇〇、〇〇〇円、および右各金員に対する昭和三九年四月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告加藤輝一、同加藤シナのその余の請求および原告加藤光男の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告加藤輝一と被告との間、原告加藤シナと被告との間に各生じた費用は各四分し、それぞれその一を被告の負担とし、その余を各当該原告の負担とし、原告加藤光男と被告との間に生じた費用は全部同原告の負担とする。

この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告ら訴訟代理人は「被告は原告加藤輝一に対し金三、八六八、三七九円、原告加藤シナに対し金五〇〇、〇〇〇円、原告加藤光男に対し金二五〇、〇〇〇円、および右各金員に対する昭和三九年四月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告指定代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求めた。

第二、原告らの請求原因

一、事故の発生

原告加藤輝一(以下原告輝一と略称)は、昭和三八年一〇月二二日午後三時三五分頃、渋谷方面から川崎方面に至る南北に通じる二級国道(通称厚木街道、以下本件道路と略称)上の、東京都世田谷区玉川町一、四〇二番地先附近の交差点(以下本件交差点と略称)北側に設けられた横断歩道(以下本件横断歩道と略称。)内を西側から東側(二子玉川園駅方向)に向けて歩行していたが、本件交差点には、分離前の被告東京急行電鉄株式会社(以下東急電鉄と略称。)が、大井町駅から二子玉川園駅を経て溝ノ口駅に至る通称田園都市線の電車路面軌道を南北に敷設し、その軌道は本件横断歩道の東端附近においてこれと交差しており、原告輝一は、折から右軌道上を南方から二子玉川園駅に向けて通行してきた東急電鉄の従業員である訴外小田孝の運転する三両編成の電車(以下本件電車と略称。)の前部左角にその後頭部を接触されて転倒し、よつて急性硬膜下血腫の傷害を受けた。(以下この事故を本件事故という。)

二、道路、横断歩道、信号機の設置管理権限

本件道路は一般交通の用に供する二級国道であつて、被告の機関である東京都知事において管理するものであり、また被告の機関である東京都公安委員会において、本件道路における危険を防止し、その他交通の安全、円滑を図るため必要な信号機を設置管理し、歩行者の横断の安全を図るため、道路標識などを設置したうえで横断歩道を設ける権限を有し、本件横断歩道および後記本件信号機はいずれも右権限に基いて公安委員会が一般交通の用に供するために設置したものである。

三、道路横断歩道、信号機の設置管理の瑕疵

本件道路は車両の交通が極めて多く、また本件事故現場附近は道路両側が商店街になつていて、玉川線、田園都市線の二子玉川園駅にも近く、そのため歩行者の通行量も多い。従つて、このような道路上に前記田園都市線の路面軌道(同線のこの部分は路面軌道になつているが、他は専用軌道であつて、この部分でも定時運行の確保が重視される。)を設置せることは、道路における交通の危険を防止し、安全を図る観点からは好ましくない状態なのであるから、本件道路の管理、横断歩道、これを規制する信号機の設置等には特に万全を期さなければならないところ、これらに次のような瑕疵があつた。

(一)  本件横断歩道設置の瑕疵。

本件横断歩道はその東端附近において右路面軌道と交差するような位置に設置されているのであるが、歩行者の安全を図るために設置する横断歩道と定時運行の確保を重視する電車用の路面軌道とが交差することは歩行者にとつて極めて危険が多く、やむを得ない特別の事情のない限りこれを避けなければならない。本件事故現場附近においては、横断歩道を本件の位置より約一〇米位北寄りに設置すれば、軌道と交差しないでこれを設置することができ、そうしても車両の運行、特に本件横断歩道両側の交通の規制に特に支障はないのであるから、あえて本件の如く、右軌道と交差する位置に横断歩道を設置したこと自体に瑕疵がある。

(二)  信号機設置の瑕疵

横断歩道は歩行者の横断の安全のために設けられるものであるから、横断歩道による歩行者の横断を信号機により規制する場合は、その信号による歩行者に対する指示は、その位置形態その他によつて歩行者に一見明白に認識しうるものでなければならない。しかるに本件横断歩道は信号機によつて規制されているところ、これを西端から東端に、通行する歩行者を規制する信号機は本件横断歩道南側の本件交差点を西から東に通過する車両の通行を規制する信号機が兼ねているのであつて、(以下この信号機を本件信号機と略称する。)その位置は横断歩道西端から、約三〇米離れ、横断歩道に対し四五度を越えて右斜前方にあるから、本件道路を南方から北方に向い歩行して本件横断歩道西端に至つたものにとつては、ほとんど振り向いて信号機の存在ならびに指示を見なければならないことになる。そして歩行者は信号機のみならず、横断歩道左右の車両の状況にも気を配つて道路を横断するものであるところ、本件交差点を電車が通過するに際しては、予め信号機により本件横断歩道による横断は停止を指示されるのであるが、これと共に、本件道路北方から本件交差点に入る車両(即ち本件横断歩道と交差して進行する車両)も同時に本件横断歩道北側の停止線に停止すべきことを指示されるため、歩行者は右車両の停止のみを見て、横断歩道による横断が許容されているものと誤認し易い状況にある。このような状況の下で本件信号機が右のような位置にあると、歩行者が本件横断歩道による横断に関する信号機による規制を誤認する危険が大きく、従つて本件横断歩道による歩行者の横断を規制する信号機は本件横断歩道両端に近く、独自に設置しなければ十分にその本来の目的を達しないというべきところ、このような独自の信号機を設置することなく前記のような位置にある信号機をもつて本件横断歩道による歩行者の横断の規制をも兼ねさせたことについては信号機設置につき瑕疵があるものといわなければならない。

(三)  道路管理の瑕疵

本件横断歩道には、横断歩道の範囲を示す標示鋲が道路の中央部分にあるだけで、その他の両端部分には何らの標示もなく、また道路中央部分が硬質舗装であるに反し両端部分は若干低く、簡易舗装されているに止まり、しかもそれが剥がれて土が露出していて歩行に困難を感ずる状態であつて、横断歩道と路面軌道が交差するのはこの標示鋲がない簡易舗装部分に当り、さらに事故当時は路面軌道に近接してその西側に水たまりが生じていた。このような状態では、本件横断歩道を西側から東側へ歩行する者は、右標示鋲の切れた地点で横断歩道が終つたものと誤認し、軌道に沿つて左前方に進路を変え、かつ道路の凸凹、水たまりに気をとられて南方(即ち右のように進路を変えた歩行者の後方)、から来る電車に気付かず、これに追突される危険があるから、右は本件道路の管理につき瑕疵があるものというべきである。

四、右瑕疵と本件事故との因果関係

原告輝一は本件道路西端付近を南方から北方に向け歩行し本件横断歩道西端に至つたのであるが、折から南方二子新地前駅方面より二子玉川園駅に向けて本件電車が進行して本件交差点に接近していたため、本件横断歩道による横断は本件信号機により停止を指示されていたが、これに気付かず、左右を見て横断歩道北側の停止線に南方に向う車両数台が停車しているのを確認し、本件横断歩道を西端から東端へ通行することが許容されているものと考えて横断歩道内に進入して東端へ向い、かつ前記のとおり横断歩道の標示鋲が途中でなくなつており、すぐ前方を軌道が左斜前方に向けて交差しているのに気付いたが、この附近ではすでに横断歩道が終つているものと考え、前記のように路面が劣悪で水たまりがあつたためこれに気をとられ、しかも軌道寄りに水たまりを避けながらなお横断歩道内を軌道に沿つて略北方に進路をかえて歩行していたところ、背後から進行してきた本件電車に追突されたのである。右事実からみれば、たとえ原告輝一に多少の過失があつたとしても、前記各瑕疵がなければ、本件事故は発生しなかつたはずであつて、本件事故は右各瑕疵によつて発生したとみるべきである。

よつて被告は国家賠償法第二条第一項に基き、本件事故によつて生じた後記各損害を賠償する責任がある。

五、損害

(一)  入院、通院治療代等

原告輝一は本件事故の後直ちに小倉病院に入院し、手術治療を受けて昭和三九年一月一五日退院し、その後も同病院に通院加療を続け、右入院通院治療費として昭和三九年三月一四日までに金二九〇、八三一円を同病院に支払い、また右入院中看護のため同病院の指示により依頼した附添婦に附添看護料としてそのころ金七二、七六八円を支払い、また入院中治療のため必要であつた氷代金一一、〇〇〇円、牛乳代金四、六八〇円をそのころ支払い、右合計金三七九、三七九円の損害を受けた。

(二)  逸失利益

原告輝一は本件事故当時王子乳業有限会社代表取締役として月額六〇、〇〇〇円の報酬を受け、また東京都牛乳商業組合理事長として月額一五、〇〇〇円の報酬を得ていたところ、本件事故によつて前記入院加療を要したばかりでなく、退院後も精神に障害を残し、また後頭部頭蓋骨を一部切除したため、労働が不能になり、昭和三九年三月末で右有限会社代表取締役を、昭和三八年一一月二四日付で右組合理事長をそれぞれ辞任した。原告輝一は本件事故当時満六六歳で、強壮、頑健であつたから、厚生省発表の第九回完全生命表による満六六歳の日本人男子の平均余命は一〇、五八年であるところから推して、本件事故がなければ少なくもなお五年は右有限会社代表取締役の地位にあつて月額六〇、〇〇〇円の収入を得たであろうことは確実であり、また同原告は昭和二七年四月以後一度も欠かさず牛乳販売業者団体の代表役員に選任され続けていたから、更に五年間はその地位を保ち、月額金一五、〇〇〇円の収入を得続けたであろうことも明らかである。

同原告が治療後軽易な屋内労働に従事することができ、これにより月額一五、〇〇〇円の収益を同期間中得るとしても、その差月額六〇、〇〇〇円、年額七二〇、〇〇〇円の得べかりし利益を五年間にわたつて本件事故により失つたことになる。これを一年毎にホフマン式計算によつて中間利息を控除した合計額金三、一三九、〇〇〇円が右逸失利益の一時払額である。

(三)  原告輝一は前記傷害によつて、前記のとおり入院、通院加療したばかりでなく、退院後も精神に障害を残し、また前記のとおり職も退かざるをえなくなり、多大の精神的苦痛を蒙つた。原告加藤シナ(以下原告シナと略称。)は原告輝一の妻であり、原告加藤光男(以下原告光男と略称。)は原告輝一、同シナの長男であつて、共に原告輝一と同じ住居で共同生活を営んでいたものであつて、原告輝一の右傷害に基き多大の精神的苦痛を蒙つた。右各精神的苦痛を償うには原告輝一、同シナにおいて各金五〇〇、〇〇〇円、原告光男において金二五〇、〇〇〇円の支払を受けるのが相当である。

(四)  原告らは東急電鉄との間で、本件事故に基く損害賠償請求事件につき裁判上の和解をなし、本件事故に基く損害賠償として金一五〇、〇〇〇円の弁済を受けたから、これを右(三)の原告輝一の慰謝料の一部に充当した。

よつて原告輝一は右(一)(二)の各損害額および(三)の損害額から(四)の金員を控除した金員の合計金三、八六八、三七九円、原告シナは右(三)の損害金五〇〇、〇〇〇円、原告光男は右(三)の損害金二五〇、〇〇〇円、および右各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和三九年四月二一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、請求原因に対する被告の答弁(省略)

第三、被告の抗弁

一、信号機設置の瑕疵の治癒

仮に原告ら主張のように本件信号機の設置に瑕疵があつたとしても、本件事故当時、警視庁巡査訴外大塚長生が本件交差点において交通整理を行なつており、しかも原告輝一の前記信号無視は右訴外人により警笛をもつて制止されているのであるから、右瑕疵は治癒されていたというべきである。

二、過失相殺

仮に被告に本件事故による損害を賠償する義務があるとしても、歩行者は道路を横断するに当つては、道路の交通状況に十分注意して危険のないことを確認してから横断すべきであるのに原告輝一はこれを怠り、本件信号機が本件横断歩道による通行に対し停止信号を現示しており、かつ本件交差点で交通整理に当つていた大塚巡査が、横断しようとする同原告に対し警笛を吹鳴してこれを制止したのにかかわらず、これを無視して漫然と横断歩行を開始し、しかも本件横断歩道上を路面軌道が交差していることを認識しながら右方からの電車の進行の有無に何ら注意を払わず、かつ進行してくる電車の警音器の吹鳴にも気付かずに漫然と軌道に近接して、しかも途中からは本件横断歩道を北寄りに外れて歩行した極めて重大な過失があり、これも本件事故の原因であるから、賠償額の算定に当つては右過失を斟酌すべきである。

三、原告らの東急電鉄に対する債権の一部放棄による本訴請求債権の一部消滅

仮に被告に本件事故による損害を賠償する責任があるとしても、本件事故による原告らに対する被告の債務と東急電鉄の債務とは共同不法行為から生じたものとして連帯債務の関係にあるところ、原告らは昭和四一年三月三日東急電鉄と裁判上の和解をなした結果、本件事故による損害の一部として東急電鉄から金一五〇、〇〇〇円の弁済を受けその余を放棄したのであるから東急電鉄に対する債権は消滅し、東急電鉄の負担部分の限度で被告に対する債権も免除の絶対効により消滅した。よつてその限度で原告らの本訴請求は失当である。

第四、抗弁に対する原告らの答弁

一、抗弁第一項の事実中、本件事故当時大塚巡査が本件交差点において交通整理に当つていたことは認めるが、同人が原告輝一の横断歩行を警笛を鳴らして制止しようと試みたことは不知、その余は争う。たとえ制止を試みたとしても当時は雨が降つていたうえ、車両の交通等による騒音によつてかき消され、ために原告輝一の耳に入らなかつたものである。

二、抗弁第二項の事実は争う。

原合輝一の歩行状況は請求原因第四項記載のとおりであり、本件事故の原因は専ら請求原因第三項記載の各瑕疵にあつて、同原告は歩行者として通常の注意は尽している。またたとえ訴外大塚の警笛、電車の警音器が吹鳴されたとしても降雨と騒音のために原告輝一はこれに気付かなかつたもので過失はない。

三、抗弁第三項の主張は争う。

第五、証拠(省略)

理由

一、請求原因第一項の事実(事故の発生)は、原告輝一と本件電車との接触地点を除き、当事者間に争いがなく、同第二項の事実(道路、横断歩道、信号機の設置管理権限)は当事者間に争いがない。

二、本件事故当時の事故現場附近の道路等の状況

(証拠)および検証の結果によれば次の事実が認められる。

本件交差点は東急電鉄の経営する田園都市線二子玉川園駅、から約五〇米西方に位置し、別紙図面のとおり南北に渋谷駅から川崎市に通ずる二級国道(本件道路が走り、これと、東方に二子玉川園、丸子多摩川園方面に通じ、西方に鎌田町方面に通ずる道路二線が略直角に交差するものであつて、二子新地前駅から二子玉川園駅に通ずる田園都市線の路面軌道が、本件道路上を南方(二子新地前駅方面)から本件交差点略中央を通つて、ゆるく東方に曲がりながら本件道路東側歩道を横切つて東北側の二子玉川園駅に向け敷設されていた。そして本件横断歩道は本件交差点北端から約一六米北方に入つた位置で本件道路を東西に横断する幅員約三、九米のもので、別紙図面のとおり、その東側歩道に近い部分において、田園都市線の路面軌道が、南々西方から北々東方に向いやや斜めに交差しており横断歩道であることを示すために、後記標示鋲の外、本件道路の歩車道を隔するガードレールがその部分において切れており、さらに横断歩道の東西両側の歩道上に横断歩道標識柱が立てられていた。本件道路はその中央部分が硬質舗装されているが、その両端部分(右路面軌道が横断歩道と交差する部分を含む。)は簡易舗装で亀裂、砂利の露出があつて粗悪であり、本件横断歩道上の中央硬質舗装部分にのみ横断歩道を示す標示鋲が敷設されており、また本件事故当時は雨が降つていたため、別紙図面のように本件横断歩道よりやや北寄りに外れ、路面軌道に近接してその西側の簡易舗装部分に水たまりが生じていた。本件横断歩道による横断は信号機により規制されているが、別紙図面のとおり本件交差点東側二子玉川園方面に向う道路と丸子多摩川方面に向う道路との分岐点、本件道路東端に西方に向けて設置されている三色燈式の信号機(本件信号機)が、西方から本件交差点にさしかかつた車両の進行を規制すると共に、本件横断歩道を西側から東側へ通行しようとする歩行者を規制していて、本件横断歩道西端からこれを見ると、その距離は約三〇米、その見通し角度は同西端の北側端からは右約五五度、南側端からは右約四七度の位置になる。また本件横断歩道西端のやや南寄りに同じく三色燈式の信号機が南向きに設置され、これが南方より本件交差点に進入する車両の進行を規制していた。(別紙図面南向き信号機、以下これを南向き信号機と略称)ところで本件交差点内には前示のとおり路面軌道が敷設されているので、電車が交差点を通過する際の人車の通行の安全を図るために、電車が二子玉川園駅に向つて二子新地前駅を発車した後所定の地点を通過すると、所定時間経過後に本件横断歩道東端の東側附近にあるブザーが鳴動を始め、その後所定時間を経過すると本件交差点内の信号機は全部停止を示す赤色信号を現示し、ただ南方満の口方面から進行して本件交差点を直進しあるいは鎌田町方面へ左折する車両と右電車に対してのみ南向きの信号機の三色燈の下方の補助信号燈の矢印現示によつて進行可能を指示する機構になつていた。そして本件横断歩道附近とくに東側には商店が並び、本件道路の車両の交通量はかなり多かつた。以上の認定に反する証拠はない。そして右事実によると本件横断歩道により横断する歩行者の量も決して少くはなかつたものと確認され、また本件横断歩道附近は、右交通量に鑑みかなりの騒音があつたものと推認される。

三、本件事故発生の状況

(証拠)によると次の事実が認められる。

原告輝一は雨の中を、本件交差点西南角から西北角に車道を横断した後、二子玉川園駅に向うべく本件横断歩道西端附近に至つたが、当時本件電車が南方から本件交差点に近づいていたため、前示のとおり本件交差点内の信号機はいずれも赤色信号を現示し、南向き信号機の補助信号燈のみが矢印により進行を許容しているにすぎず、従つて本件横断歩道による歩行者の横断も本件信号機により停止を指示されており、本件横断歩道北側の停止線には南向きに車両数台が停止信号によつて停止していたが、南方から交差点を直進する車両の進行はなかつた。原告輝一は本件信号機の存在およびその赤色信号に気付かず、右停止線に停止している車両をみて、これと交差する本件横断歩道による横断は許容されているものと速断し、特に南方からの車両、電車等の進行状況を正確には確認しないまま横断歩道内に立入り、その東端に向けて前進歩行した。当時警視庁玉川警察署の交通係警察官訴外大塚長生が本件交差点略中央(別紙図面イ点)で交通整理に当つていたところ、電車が接近してくるのにかかわらず本件横断歩道内を歩行中の同原告に気付き、これを制止すべく警笛を吹鳴したが、同原告は同訴外人の存在およびその警笛に気づかず、そのまま進路をやや左斜前方に向けて歩行を継続し、次いで前示のとおり横断歩道上を横切つている路面軌道を前方に発見したが、南方からの本件電車の接近に気付かず、かつ後記のとおり訴外小田孝が吹鳴した電車警音器による警笛にも気付かないまま、軌道手前からは、同軌道に沿つて差方に進路を変え進行しようとしたところ、降雨による前記水たまりが進路を妨げたので、これを避けるべく、水たまりと軌道とのわずかな間隙を、軌道に極めて近くこれに沿つてほとんど北方に向け、接近してくる本件電車に背を向けて所定の横断歩道を北寄りに外れて歩行した。(歩行経路は略別紙図面のとおりである。)この間同原告はほとんど終始うつむき加減であつた。

他方訴外小田孝は本件電車を運転して田園都市線二子新地前駅から二子玉川園駅に向い毎時約二〇粁の速度で本件交差点に南方から進入し、その後やや速度を減じながら進行していたが、接触地点より約二八米手前附近で、約二〇米左前方に本件横断歩道北側寄りを東進している原告輝一を発見し、車上の警音器を吹鳴して警告を発したが、同原告は次第に軌道に接近し、右のとおり水たまりを避けるため軌道よりに進路を変え、軌道に極めて近くこれに沿つて電車の進行に背を向けて歩行し始めたのを認めて、急拠接触地点より五、六米手前の地点で警音器の吹鳴を続けると共に急制動の措置をとつたが、間に合わず、右軌道西側路線上附近、横断歩道北側端より約五米北寄りの地点(別紙図面X印)において同原告の背後に電車左前部が接触した。

(証拠判断省略)

四、横断歩道、信号機、道路の設置管理の瑕疵

(一)  横断歩道設置の瑕疵

本件横断歩道がその東端附近において路面軌道と交差するような位置に設置されていることは前示のとおりであり、(証拠)検証の結果および弁論の全趣旨によると、東急電鉄経営の田園都市線電車は、通常の路面軌道電車と異り、その運転区間の大部分は専用軌道を使用し、所定のダイヤに基き運行するものと認められるのであるから、横断歩道はできる限りこのような軌道と交差しないような位置に設置することが好ましいことは明らかであるけれども、前第二項に認定した事実と(証拠)を併せ考察して判断すると横断歩道を本件の位置より北寄り約一〇米の位置に設置すると本件交差点から離れすぎて鎌田町方面から二子玉川園方面へ、あるいはその逆に二子玉川方面から鎌田町方面へ向う歩行者にとり不便であり、かえつてこれを利用しないおそれがあり、あるいは本件の位置より南寄り交差点に近く設置すると、被告主張のように車両が軌道上に停止して交通麻痺を生ずる危険があるものと推測され、その他横断歩道の設置場所としてより適切な位置があると認むべき証拠はないから、本件横断歩道が右軌道と交差していることのみをもつて、横断歩道の設置に瑕疵があるものと認めるわけにはいかない。

(二)  道路の管理の瑕疵

本件横断歩道を標示する標示鋲が横断歩道中央の硬質舗装部分にのみ存したことは前示のとおりであり、更に右以外の簡易舗装部分には横断歩道を示す白線が本件事故当時は存しなかつたとしても、前示のとおり本件道路の歩車道を区別するガードレールがあり、その他前第二項に認定した現場の状況に照らして、右簡易舗装部分が車道に含まれるものであることを誤認する危険はないと認められ、横断歩道が車道中途でなくなるということは考えられないところであるから、本件横断歩道の範囲を示すに右標示鋲しかなかつたことをもつて道路の管理に瑕疵があつたものとはいえない。

また右簡易舗装部分の路面は亀裂、砂利の露出が見られ、粗悪であつたことは前示のとおりであるが、(証拠)によつても、その為に特に人の歩行に支障を来たすことがあつたとは到底認められず、他にそのように認める証拠はないから、これをもつて道路の管理に瑕疵があつたとはいえない。

次に本件事故当時降雨のため横断歩道北側、路面軌道に近くその西側の簡易舗装部分に水たまりが生じていたことを前示のとおりであるが、簡易舗装道路においては降雨の際水たまりが生ずることはある程度までやむを得ないところであり、また右のとおり水たまりは横断歩道をわずかに外れているのである他、横断歩道による歩行が信号機により正しく規制されていれば、右水たまり自体が歩行者の歩行の安全を害する危険がある底のものとは考えられないから、これをもつて直ちに本件道路の管理に瑕疵があつたとみることはできない。

(三)  信号機の設置の瑕疵

前示のとおり本件信号機は本件横断歩道西端から約三〇米離れて、横断歩道に正対してその見通し角度が右約四七度ないし五五度の位置にあり、検証の結果によれば、同西端から斜め右方を注視すればその存在および信号現示を十分確認できるものであることが認められる。

しかしすべての歩行者の注意能力をさして高いものと評価することはできないのであり、特に歩行者の安全を確保するために設置すべき横断歩行者信号機の如きは、歩行者が常に自己の安全を守るための十分な注意を怠らないことを前提にしてこれを設置すれば足りるものとはいえない。そして横断歩道による歩行者の横断を信号機により規制する場合には、まず歩行者に当該横断歩道が信号機によつて規制されているものであることを明瞭に認識させうること即ちその信号機の位置を予め知つていなくとも、容易にその所在が認識できるような状態にこれと設置することが必要である。ところで本件交差点には前示のとおり東急電鉄田園都市線路面軌道が通つており、そのため交差点内の各信号機は(本件信号機も含めて)同線電車が南方二子新地前駅方面から接近すると一斉に赤色による停止信号を現示しただ南方から進行して本件交差点を北進しあるいは左折する車両に対してのみ南向き信号機の補助信号燈によつて進行可能の標示を現示するという特殊の機構になつているのであるから、電車が接近している際に交差点南方より本件横断歩道西端に至り、これにより本件道路を東側へ横断しようとする歩行者がまず南向き信号機が赤色を現示し、(もつとも同信号機の三色燈下方の補助信号燈は矢印により進行を許容していることは前示のとおりであるが、通常の歩行者としてはまず赤色信号により事態を判断する可能性が強いと考えられる。)同時に本件横断歩道北側の停止線に停車している車両をみて、通常の交差点における如く当然東西への車両の進行および歩行者の横断が許容されているものと速断することは必ずしも異とするには足りないところであり、予め本件交差点の状況を知つている者は別として、交差点の前示の特殊性に思いを至し、更に自己の横断を規制する信号機の存否、信号現示如何を意識して注意深く確認することを全ての歩行者に期待してよいとはいえない。そして一旦横断を開始した歩行者は、横断歩道内の軌道敷に気付いても、自己の横断が許容されているとの先入観と前記停止線上に車両が停止したままであることから改めて左右の交通状況特に電車の接近如何に意を用いず、また接近した電車が警笛を吹鳴しても前示騒音にも加わつてこれに気付かないこともありうることはこれまた必ずしも推測に難くないところである。

従つてこのような特殊な交差点における横断歩道による横断を規制するための信号機は、横断歩道に立つた歩行者が特に斜め右方を注意してみればその存在を確認できる位置にあるというだけでは足りず、より容易に即ち右歩行者が前方を見れば当然に、歩行者の眼に映ずるような位置になければならない。右の観点からみれば横断歩道端から約三〇米離れて、横断歩道に正対して右約四七度ないし五五度の角度にあり、歩行者が横断歩道に入つて前進すればするほど、右の角度が広くなる本件信号機の位置は、本件横断歩道により本件道路を横断しようとする歩行者にとつて容易に本件横断歩道による横断を規制するものとして映ずるのに適切な位置とはいえず、本来その位置はより歩道端に近接していなければならないものというべきである。

よつて前示のような位置にあつて車両の進行を規制する信号機をもつて本件横断歩道規制のための信号機を兼ねさせたことには、信号機の設置につき瑕疵があるものと認められる。

五、信号機設置の瑕疵と本件事故との因果関係

後に認定するとおり原告輝一に本件信号機の停止信号および警察官の警笛による制止に気づかず、かつ軌道のあることを認識しながら接近する電車とその警音器による警報に気づかず漫然と歩行した過失があることは明らかである。

しかしながら、前第四項信号機設置の瑕疵に関して判示したところと前第三項に認定した同原告の本件横断歩道による横断歩行状況に鑑みると、本件横断歩道規制のための信号機が、本件信号機より本件横断歩道東端に近く、横断歩道西端に至つた歩行者にとつてより発見し易い位置、例えば同歩道東端に極めて接近して設置されているにおいては、同原告においてもこれを発見して横断を思い止まつたであろうことが十分考えられるところであるのに加えて、当時雨が降つていたこと、前示衝突地点附近の路面の粗悪状況、水たまりの存在、これらにより同原告としては特に自己の足下の道路状況にも気を配る必要があつたこと、その他前認定の本件事故現場附近の交通事情に照らして判断すると、前第三項認定の横断歩行状況は、なお通常人としての行動の範囲内にあるものというべきであるから、本件事故は本件信号機の瑕疵と相当因果関係に立つものであることを失なわないというべきである。

なお本件電車運転士訴外小田孝は、原告輝一を発見して直ちに急制動をとらなかつたことは前示のとおりであり、もし同人が直ちに急制動をとつていたとしたら本件事故の発生を見ることはなかつたと考えられるとしても、前第三項認定の同訴外人の運転状況および第四項認定の田園都市線電車がその運転区間の大部分は専用軌道を使用し、所定のダイヤに基き運行するものであることに鑑みると、右の点も右因果関係の存在に影響を及ぼすものとは考えられない。

六、被告の抗弁

(一)  信号機設置の瑕疵の治療

本件事故当時大塚巡査が本件交差点ほぼ中央で交通整理に当つており同人は横断を開始した原告輝一を警笛の吹鳴により制止したことは前示のとおりであるが、本件交差点附近の状況から見て本件横断歩道西端に立つた原告輝一につとて、同巡査の位置が本件信号機の位置よりもさらに見やすい位置であり、また警笛がきこえやすい位置であり、また警笛がきこえたとしても、それが自己に対する警笛であるとのことをたやすく認識できたとは認め難く、しかも証人大塚長生の証言によると同人の交通整理の主眼はむしろ本件交差点における車両の進行の円滑を図るにあつたから、同人は原告輝一が横断歩行中もしくは少くとも警笛を吹鳴した後本件事故発生まで同原告の動向を終始注視確認していたわけでもないことが認められ、そして同原告が右吹鳴を聞き落したことは、前示のとおり、当時の降雨と騒音とが与つている事実を総合すると同人が交通整理に当つていたことおよび警笛を吹鳴したことをもつて信号機設置の瑕疵が治癒されたものとは認められない。よつて被告のこの主張は採用の限りでない。

(二)  過失相殺

歩行者が横断歩道により道路を横断するに際しては、自己の歩行の安全を守るために四囲の道路交通状況に応じて相当の注意をなすべきことはいうまでもない。ところで前第二項で認定した事実に照らせば、歩行者として、本件横断歩道附近の状況を相当の注意をもつて見れば、本件交差点が交通量の相当に多いしかも複雑な交差点であり、従つて本件横断歩道による横断は信号機によつて規制されているであろうことは観取するに難くないものと認められる。そうすると本件横断歩道による横断を開始するに際しては、歩行者は、本件横断歩道と交差する本件道路の車両の通行が停止していることのみによつて、自己の横断が許容されていると判断してよいものではなく、なお四囲の交通状況を確認し、かつ本件横断歩道を規制する信号機の所在およびその信号現示を確かめてから横断を開始すべきものである。また(証拠)によると前示のとおり訴外大塚長生が吹鳴した警笛および訴外小田孝が吹鳴した電車の警音器の各警音は、四囲の交通状況に対する十分な注意を働かせているにおいてはこれを聞き取りうるものであつたと認められる。さらに横断歩道を進行して路面軌道に気付き、これを横断しあるいはこれに近接して歩行するに際しては、軌道左右から電車が進行してくるやも知れないことを予測して、予め左右を確認しなければならない。

ところが(証拠)によると原告輝一は本件事故直前に附近で催された同業者の息子の結婚披露宴に出席して日本酒一本およびビール一、二杯を飲んでおり、そのため本件事故当時かなり注意力が散漫な状態にあつたものと認められ(原告輝一本人尋問の結果中本件事故当時同原告がしつかりしていた旨の供述部分も右認定を左右しない。)るところ、前第三項認定の事実によれば右飲酒による注意力散漫も手伝つて、原告輝一は本件横断歩道による横断を開始するに当つて右方本件交差点内の交通状況および本件信号機確認の注意を怠り、また降雨のため専ら自己の足下に気をとられ四囲の交通状況に対する十分の注意を欠いたため、訴外大塚長生の警笛、訴外小田孝の電車警音器の各吹鳴による警音に気付かず、さらに前進して路面軌道に気付いてからも、前記本件横断歩道北側停止線になお車両数台が停止したままであることにより自己の横断歩行が許容されているものと誤認したまま軌道左右の電車の接近状況を確認せず、前記水たまりに気をとられこれを軌道寄りに避けながら漫然と軌道沿いに歩行したという過失があつたものといわなければならず、右過失は相当重大なものといわなければならない。

(三)  原告らの東急電鉄に対する債権の一部放棄による本訴請求債権の一部消滅

原告らが昭和四一年三月三日東急電鉄と裁判上の和解をなし、本件事故による損害賠償として東急電鉄から弁済をうけるべき金一五〇、〇〇〇円を除き、その余の東急電鉄に対する請求を放棄したことは当裁判所に顕著である。

しかしながら、たとえ本件事故が被告と東急電鉄との共同不法行為に当るとしても、共同不法行為による共同不法行為者の債務は不真正連帯債務の関係にあると解すべきであり、不真正連帯債務については当然には民法第四三七条の適用はなく、しかも、前第五項で認定したとおり本件事故の原因は主として本件信号機設置の瑕疵にあり、共同不法行為としてもむしろ被告の負担部分が大きいものと認められるのであるから右和解における原告らの東急電鉄に対する請求の一部放棄が被告の本件事故に基く債務の消長に影響を及ぼすものとはとうてい解することができない。

以上のとおりであるから、被告は本件事故による原告らの後記各損害につき、原告輝一の過失を斟酌してこれを減額した限度で、国家賠償法第二条第一項に基きこれを賠償する責任がある。

七、損害

(一)  入院、通院治療代等

(証拠)および弁論の全趣旨によると、原告輝一は本件事故による傷害の治療のため事故後直ちに小倉病院に入院し、手術加療を施して昭和三九年一月一五日退院し、その後も同病院に通院して加療を続け、同年三月一四日までの右入院、通院治療代として右同日までに金二九〇、八三一円を同病院に支払い、また右入院期間中同原告の看護のため必要であつた附添婦に対し附添看護費として控え目にみて少なくとも金七〇、〇〇〇円を下らない金員を遅くも右同日頃までに支払つたものと認められ、右は本件事故による損害というべきものである。しかしながら、氷代金一一、〇〇〇円および牛乳代金四、六八〇円を支払つたとの点については、原告光男第一回本人尋問の結果によつてもこれを認めるに足りず、他にこれを認めるべき証拠はない。前認定のとおり原告輝一にも過失があるからこれを斟酌すると右入院、通院治療代と附添看護婦との合計額のうち被告が賠償すべき額は金二〇〇、〇〇〇円が相当である。

(証拠)によると原告輝一は本件事故当時同原告一家のいわゆる同族会社である王子乳業有限会社の代表取締役の地位にあり、また東京都牛乳商業組合理事長の職にあつて、右有限会社代表取締役の報酬は控え目にみて月額金二〇〇、〇〇〇円を下らず、右理事長の報酬は月額金一五、〇〇〇円であつたこと、本件事故による傷害につき前記のとおり加療したが、その後もなお精神障害を残し、また脳手術により頭蓋骨の一部を切除したため右各職に就くことが不能となつたので、本件事故後間もなく(弁論の全趣旨によれば遅くも本訴提起の頃までに)右職をいずれも辞任したこと、同原告は昭和二九年から事故当時まで継続して右理事長の地位にあつたこと、同原告は本件事故当事満六六才の健康体の男子であつたことをいずれも認めることができる。右認定事実によれば同原告は本件事故後なお厚生省発表の第九回完全生命表による満六六才の日本人男子の平均余命一〇年余と同程度の年数生存しえて、本件事故がなければ右各職種に照らし少なくとも右辞任後いずれも原告主張の五年間はなお右有限会社取締役および右組合理事長の職にあつて右と同程度の収入をあげえたであろうと推認できるところ、爾後軽易な屋内労働に従事することができたとしても、それによつてあげうる収益は原告の自認する月額一五、〇〇〇円を上まわるとみるべき証拠はないのであるから、同原告は前記報酬の合計月額金三五、〇〇〇円から右金一五、〇〇〇円を引いた月額金二〇、〇〇〇円、年額金二四〇、〇〇〇円の得べかりし収入を五年間にわたつて本件事故により失つたものというべく、これから一年毎にホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除した合計額金一、〇四七、四四八円(円未満切捨)が右逸失利益の一時払額である。

そして前記同原告の過失を斟酌するとこのうち被告が賠償すべき金額は金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(三)  (証拠)によると、原告輝一は本件事故により脳挫創、急性硬膜下血腫の重傷を負い、前記のとおり二カ月余にわたつて入院し、開頭手術を施行して頭蓋骨の一部、五センチ四方位を切除し、その間危篤状態に陥つたこともあり、退院後も通院加療したもののその後もけいれん、意識不時の発作を起すことがあり、記憶力、思考力に衰えを見せ、前記のとおり就労不能となつて辞職し、今後も終身就労できない可能性は低くないことが認められ、右によると同原告は本件事故により多大の精神的苦痛を蒙つたものと認められる。

次に原告シナが原告輝一の妻であることは当事者間に争いがなく、右各証拠によると、原告シナは原告輝一の右入院中これに付き添つて看護に当り、退院後も就労不能となつた原告輝一の生活の世話をしていることが認められ、また前記のとおり原告輝一は終身就労できない可能性もあるのであるから、将来永きに亘つて夫の健康に常に気を配りながらその生活の面倒をみなければならない心痛は推測するに難くないところである。してみると原告シナにおいても本件事故によつて多大の精神的苦痛を蒙つたものと認められ、独自にその苦痛を償うべき慰謝料請求権を有するものと認めるのが相当である。

そして右原告輝一、同シナの各苦痛を償うための金額としては、前記の本件事故の態様を考慮し、さらに原告輝一の過失を斟酌すると、原告輝一において金二五〇、〇〇〇円同シナにおいて金一〇〇、〇〇〇円が相当であると認められる。

なお原告光男は原告輝一の長男であることは当事者間に争いがなく、原告光男第一回本人尋問の結果によると原告光男は原告輝一と同居して前記王子乳業有限会社の業務を手伝つており、本件事故によつて原告輝一が右有限会社代表取締役を辞位してからは原告光男がその任に当つていることが認められるが、原告輝一について認定した前記事実および右の事実をもつてしては、未だ原告光男が独自にそれを償うべき慰謝料請求権を有すると認めるほどの精神的苦痛を蒙つたものとみることはできない。

(四)  原告らが東急電鉄との間に本件事故に基く損害賠償請求事件につき裁判上の和解をなし、本件事故による損害賠償として東急電鉄より金一五〇、〇〇〇円の弁済を受けたことおよびこれを原告輝一の右慰謝料請求権に充当したことについては当事者間に争いがない。

八、結 論

以上により、原告輝一、同シナの本訴請求は、原告輝一につき前第六項の(一)(二)の各損害額および(三)の同原告の損害額から(四)の金員を差引いた金員の合計金八〇〇、〇〇〇円、原告シナにつき前第六項の(三)の同原告の損害金一〇〇、〇〇〇円、および右各金員に対する、右各損害発生の後であること明らかな昭和三九年四月二一日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるから、これらを認容し、その余はいずれも失当として棄却し、原告光男の本訴請求は全部失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(吉岡進 羽生雅則 浜崎恭生)

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